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五年越しのかたづけ

ここ3日ほどは外に出ており,
今日も子どもを連れて図書館にでも行って来ようかとおもっているのだけど,
正月3が日を過ぎてから2週間ほどは,ほんとにほとんど家の中で過ごしていた。

何をしているかと言えば,
子守と家事手伝いをしつつ,家の中の整理。

特に2階部分はにわかには手がつけられないくらいの散らかりようだった。
まずはいらんものの処分に取りかかる。
一階のパソコン部屋にずらりと並べてあった100本以上のVHSテープを撤去。
ここ数年は増やさずに来たのだけど,
それまでの10年ほど主にBSでとり溜めてあった映画がここに眠らせてあった。

見る暇があるわけでもなし,
愛着のあるわけでもないものはとりあえず棚から引きずり降ろした。
で,ビニールゴミの日に,数本ずつ捨てていく予定。

VHS用に作ってあった棚を取り壊し,
新たに細々とした文具品などを分類しておけるように棚を新設。

2階は服が溢れており,これはさすがに捨てられないものが多いので,
本棚をひとつ潰した。
代わりに子供服用と大人服用のそれぞれの洋服かけを新設。
大人用のは棚も設えた。

新たに作った物は,すべて手作り。
しかも材料は家にあるものだけで作った。
家の敷地にあった木を切って製材してもらった板がたくさんあったので,それらをなんとか使って棚などを作ることができた。

それで物置も整理ができて,こちらへものを移動することもできたというわけだ。

というわけで,棚ひとつ作るのにも一日がかりだったりするわけで,さらに散乱していたモノをほじくり返してあっちへこっちへ移動し,分類整理して配置していく。
中には,5年前に引っ越してきたときに,面倒でとりあえず何でもかんでも放り込んであった段ボール箱などもあり,
それらも中身をひとつひとつ分類整理した。

これだけの作業をしようと思ったら,
なかなかたまの休みにちょっとずつ行うというのも難しく,
まとまった時間があるのでなんとかやりおうせているところ。

まだまだ片づけ途上なのだけど,
今の段階で二階にもある程度スペースができて,
最近は子どもたちも2階で遊びたがるようになった。
いや,おれが嬉しくて無理矢理遊ばせているという話もあるが。
# by morisho5 | 2007-01-21 07:00 | DIY

ある田舎の情報通信事情

うちは正真正銘の田舎ではあるけれど,
情報通信に関しては,田舎の中でも特殊な環境とも言える。

地上波が見られないのは,我が家が集落から離れているせいであって,
集落内にいる人たちは普通に地上波の番組を楽しんでおり,
他に娯楽が少ない分,特に老人などはテレビのない生活など考えられないほど,
テレビはよく見ているようだ。

集落内に家があれば,共聴と言って,共同で山にアンテナを立ててあるので,
各戸にケーブルを配してテレビが見られるようにしてある。
加入金が高い上,月々負担金も発生する。
さらにもし我が家に共聴のケーブルを引くとなると,
ケーブル設置料だけでもかなりの額になってしまう。

新聞も都市部に比べると配達時間が遅く,ニュースもやや古いものではあるけれど,
集落内であればちゃんと配達してくれる。
近所のつき合いなどから,
聖教新聞としんぶん赤旗が同居している世帯も少なくないようだ。
余談だが,その上退役軍人年金をもらうために名目上は自民党員という人も結構いる。

新聞も,我が家は集落から離れているせいで配達をしてもらえない。
どうしても欲しい場合,前日の新聞を郵送してもらうことは可だという。
もちろん,郵送料は購読料とは別払いとなってしまう。

携帯電話は,我が家にも電波は届いている。
先月,集落内にアンテナが立ったので,
NTT docomoのフォーマであれば電波は届くようになった。

インターネットは,今のところ,集落内であってもよくてISDNである。
10キロ手前くらいまで,ようやくYahoo!BBが使えるようになったと聞いたが,
そこから先へ伸びてくれるかどうかは分かっていない。

ただ,ネットとテレビに関しては朗報もある。
来年度から,光ケーブルが使えるようになるのだ。
地上デジタルとブロードバンドが我が家にもやって来るというわけだ。
地デジを見ることにするかどうかはまだ決めていないが,
見る環境は整うことになる。
とは言え,まだ1年以上先の話なのだが。

新聞の方はいくらデジタル化が進んでも,やはり配達されるモノはアナログな紙であるので,
どうしても人家から離れていると対応してもらえない。
赤旗は配達してくれると言ってたけどね。
さすがは資本主義の論理に縛られない対応だ。
しかしいくら選択肢が少ないからと言っても,
唯一の新聞が赤旗となると,やっぱり考えてしまうのだよなあ。
# by morisho5 | 2007-01-11 21:57 | 日常生活

携帯も持たずに情報化社会を語るかお前は

最近はなにごとにおいても当たり前ということが言えなくなってきていて,
なにが常識なのやらよく分からなくなってきている。
社会が急速に変化していっているからであるのだろうけれども,
それらの変化の最前線にいる者,
柔軟に対応できる者,
遅れながらもついていこうとする者,
ついていけない者,
端から対応するつもりのない者などなどがおり,
ギャップの激しさが時を追うごとに大きくなっていっているようにも見える。

それを格差と呼ぶか,多様性と呼ぶか,好みや見方によって変わるだろう。

しかしこうした変化は社会の様々な分野で進んでいるので,
1人の人間について言うならば,ある部分では最先端でも,
ある部分では後進者,不適応者,ならず者となる場合もあるかもしれない。

例えば自分の場合,この情報化社会の中において
新聞を取っていない。
テレビも地上波を見られる環境にない。
雑誌等も普段は売っているのさえ目にしない。

情報は主にネットか衛星放送に頼っている。

ネットに関しては,mixiやブログをやっているし,
遅ればせながらもなんとかかんとか平均くらいは保とうとしているつもり。
しかし,携帯は不所持であり,
全くついていく気さえない。
(というわけでもないけれど,ここまで来ると,どこまで持たずにいられるか試してみたい気もしている。)

今日情報化社会と呼ばれているので,
例としてその話を出したのだけれども,
こうした変化への対応だけをとっても,
いろんな側面が見えてくる。

情報化社会が今日的な社会の本質であるかどうか,
そこまで話を膨らませるつもりはないのだけれども,
世の中は情報化の波だけとってもかなり激変していることは確かで,
それが社会の様々な部分に大きな影響を与えていることも確かだろう。


で,今の自分にとってたいそう悩ましいところは,
育児であろうか。
食わせるだけであれば一定の収入があればなんとかやっていけるのだが,
ことに教育となると,収入だけの問題でなく,
それなりのポリシーも必要になっているのではないかとも思う。

ポリシーと言っても,何が何でもというがちがちになるつもりはないのだけれど,
スタンダードがあるのかないのか分からない,
また,あったとしても,それがどのような効果をもたらすのか分からないという現状では,
自らも考えて対処しなければならない部分は大いにあると思う。

と言うのも,社会変化は家族のあり方や地域社会のあり方もずいぶんと変えてしまった。
教育はそれに対応できているのかどうか,強い関心を抱かざるを得ない。
もちろん,ここでの教育には,学校や保育所などだけでなく,家庭においての教育も含まれる。


こないだ,BS-hiでアルビン・トフラーが出ている番組があったので見ていた。

 アルビン・トフラー
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%93%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%88%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%BC
  
トフラーと言えば『第三の波』(1980年)で情報化社会を予測したことで有名なのだけれども,
この番組の中で面白いことを言っていた。
社会の変化に対応する速度をそれぞれ見た場合,
最も対応に優れているのが「企業」で,これを100とすると,
次にネットワーク型の「NGOや非営利団体」で,これが90。
その次が何だったか忘れたけれども,4番目が「家庭」で60。
一番下が「官僚機構」で25,というもの。

こうした数字の根拠等の詳細は不明だけれども,
印象としてはなるほど,と思わせるものだった。

要は,お上はあてにできない,ということをハッキリ分かっておくべきなのだろうと肝に銘じる。
# by morisho5 | 2007-01-10 05:00 | 社会

新年の抱負

七草粥も食べてすでに正月気分でもないのだけれども,
今年最初の日記でもあるので,抱負を述べようかと。

例年は例年通りというのが抱負なのだけれども,
なんとなく,今年は少しく改まるような心持ちもする。

40代も目前に控えて,もう少し年相応に近づこうなどと思いはじめたのかも知れない。

30からはじめた田舎暮らし,そして山での仕事。
さらには2人の子供ができたこと。
それらも数年が経過して,いろいろな課題もでてきている。
何げなく過ごしてきたことも多い。
これらの課題をひとつひとつこなしていかなくてはならない。

ただまあ,焦りは禁物。
頭も体も衰えてくるもの。
じっくりと,確実に前進していこう。

あ,やっぱり今までとそう大差ないか。
# by morisho5 | 2007-01-10 04:58 | 日常生活

信長

信長は「女のように甲高い声」を張り上げたなんていう描写を小説内では散見するのだが,
テレビドラマの中の信長はマッチョが多い。
おれの中では『利家とまつ』での反町のイメージがやや強いのだけれども,
それでもやっぱり声は甲高くはないよな。
こないだまでやっていた『功名が辻』では館ひろしが演じていたけれども,
小説のイメージからすると,さらに遠のく。
むかしは仮面ライダーが信長やってたりしたなあ。
あれも違うな。

そうしたところが気になる点ではあったけれども,
それが女そのものだったと言われると,それはないだろう,と思ってしまう。
先日図書館で『女信長』という本を見つけた。
ああ,そういう見方をする小説も現れたのだなと思いつつ,借りて読んでみた。

信長が女であったと仮定しつつ,歴史的事実をどう埋め合わせていくのか,
そのあたりを楽しみにしていたが,それなりに符合していたと言うべきか。
同様な楽しみ方としては,『信長―あるいは戴冠せるアンドロギュヌス』(宇月原晴明著)があったけれども,こちらは両性具有。
ある意味,信長は両性具有だったと言われた方が,女だったと言われるよりもしっくりしているように感じられるのは,男色のイメージもあるからだろうか。

いずれにしても,信長は戦国時代に傑出した存在であったことは確かだろう。
それまで誰もなす事ができなかった天下統一の筋道をつけたという点では,
英雄視されるのも頷ける。
天才と言っても過言ではないのかも知れない。

天才であるがゆえか,信長の行動には謎が多い。
用意周到に天下への道を目指すという部分では,
歴史の結末を知る凡人にも想像の及ぶところではあるのだけれども,
それにしても,その時代に常識を覆すようなことをどうして行うことができたのか。

『国盗り物語』(司馬遼太郎著)では,はじめ信長の視点で話が進行していたと思いきや,中盤あたりからすっかり視点が明智光秀に変わってしまった感がある。
明智光秀から眺めた織田信長であるのだ。
そこでは,信長に比べて光秀を理解しやすい人間として描いている。

『反逆』(遠藤周作著)なる本も読んでみたが,
これは信長に対し謀反を起こした者たちの視線で信長が描かれている。

信長の視点で小説を書くのはそれだけ難しいと言うことなのだろうか,
と思っていたところ,
『女信長』では,まさに信長の心情がつらつらと書き連ねられている。
ここでの信長は,言うまでもなく女としてである。
戦国という男中心の世界で,女であるが故に,男では思いもつかぬようなことをやりおうせた,というわけなのだ。
そこでは信長の動機をはっきりさせることに主眼がある。

『信長―あるいは戴冠せるアンドロギュヌス』では,信長の動機というよりは,
妖術などのあやかしが信長を助けたという部分が多く,
窮地にあってもどうしてそこを抜け出たか,というかなり強引な因果の付け方でもあった。
そこがこの小説の面白い部分でもあったわけだが。
それに比べると,『女信長』は地道に行動の動機の部分を追っている。

『女信長』にしても,やや強引な部分はないでもない。
ま,詳細は語らずにおくけれども。
信長が女であったと言うところはひとまずおくとしても,
記録に残らない歴史の裏側の部分で,そういうことがあったとしても,
おかしくない,くらいなことは言えるかも知れない。
ある人物が完璧すぎるのがちょっと気になりはするが。

信長を語るとき,彼を屠った明智光秀もまた,物語の上で重要な役割を担っている。
そして,なぜ光秀が信長に謀反を起こしたのかもまた謎の部分であって,
それぞれの小説でも光秀の心情を明らかにさせることが重要になっている。

『国盗り物語』では先述したように,明智光秀が主人公であるかのようでもあるくらいなのだけど,謀反の動機は主に物質面に依っている感が強い。
光秀ははじめから信長をライバル視しており,すでに謀反の萌芽を秘めていたような趣。
『反逆』はさすがに遠藤周作だけあってと言うべきか,
精神面からより強い動機を導き出している印象があった。
しかしこちらも,荒木村重を説得に出かけた光秀は,
そこで時期尚早ということを仄めかしており,こちらも謀反の萌芽はあらかじめ作られていた。

『女信長』の場合,あくまで自分の感想であるけれども,
謀反に必然的な予感を感じさせない,やや意外性のある展開を含んでいて,
満足感を云々するより,話に引き込まれていく部分ではあった。
ただ,信長が女なだけに?(いやそんなことを言ったら怒られそうだが)
心情の吐露が冗長でイライラさせられないでもなかったけれど。
しかしまあ,危惧していたようなラブロマンスな結末でなかったのは,
おれとしてはホッとする部分ではあった。
# by morisho5 | 2006-12-27 01:10 |